手形

受け継がれる「本物」の土壁

明和元年(1764年)に創業してから約260年。
京都の地で本聚楽土ほんじゅらくつちを主とし、
土壁・壁土の製造をしています。
江戸時代に、丹羽屋源助が京都御所に献上して以来、
宮内庁御用指定業者として代々受け継いで参りました。

手形
聚楽第跡

京職人が守り続ける想いと技。​

何百年の間、京職人が切磋琢磨しながら、
試行錯誤を繰り返し、
継承し続け、
今日の京壁が完成しました。
職人が一つ一つにこだわり、
心を込めて手作業で製造しているため
独特の美しい色合いと質感を持っています。
それにより、他では作り出せない和の趣や
風情を
感じることができ、
格調高い雰囲気を
醸し出すことができます。

しかし、聚楽土は一部の聚楽第跡地(現在、西陣地区)
からしか
取れない非常に
貴重なものであり、
本物の聚楽土であるが為に
配合が難しく手間が掛かるため、
今まで多くの方々に広く
ご使用頂ける事ができませんでした。
そこで、日本文化が失われつつある今、
より多くの方に「本物」の
土壁の良さを知って頂きたい
という思いで、
土の技法を簡略化し、
安心して
ご使用になれるよう 鋭意開発してまいりました。
本聚楽土

土壁の中の最高峰『本聚楽土ほんじゅらくつち

天正14年(1586年)豊臣秀吉が天下統一直前に、
京都西陣に、
華麗な城郭風の邸宅
「聚楽第(じゅらくだい)」を作りました。
この聚楽第の跡地付近から産出された
良質な粘りのある土を
「本聚楽土」と言います。
趣があり非常に美しく、
茶の湯を大成した
千利休が茶室の壁に使ったともいわれており、
他にも歴史的な建造物に多く使われています。
聚楽土は、建築工事での基礎工事掘削の段階で
地下2~3m掘ると
聚楽の層にあたり、
30cm~2mを
採取し貯蔵します。
次に採取した聚楽を天日に乾燥させ(十分乾燥)、
石臼で餅つきの
要領で約1時間程度かけ
粉砕(粘土分だけ粉砕)し、
粉末になった聚楽を
3厘目の通し網にてふるい、製品となります。
また、他の色土についても石臼で粉末にして
製品となりますが、
土の産出場所はいろいろで
現在は一定の山に無いのが現状です。
中内建材店では、
いろいろな情報を収集し色土を確保しています。
本聚楽土
本聚楽土
京錆土
京錆土
中塗土
黄土
稲荷山黄土
浅黄土
白土
深草砂利

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